2025年7月17日木曜日

ラストチャレンジ



およそ十数年続けてきた、師が名誉委員を務める

栃木県美術作家連盟による「栃木県展」。


僕の都合により、

染め教室の閉鎖と共に県展への挑戦もラストイヤーとなりました。


振り返ると、修行の翌年から挑戦させていただき、

数年後に会員推奨、生徒にも挑戦権を与えて共に挑んで来ました。

僕の性格上、自分の物より人の物が好きで、大切で、

きっと僕の県展制作を目の当たりにした生徒はいないはず。

それほど、毎年県展に向き合ってくれる生徒の姿が嬉しくて、

楽しくて心がときめいていました。





その分、苦しくて苦しくて、悩んで悩んで、

出来上がった生徒の作品は全て僕の作品でもあり、

どれも愛おしく今でも心に咲いています。


最後の挑戦を締めくくるべく、

長年の目標の一つであった栃木県展の会場へと足を運んだ。


県展最終日である当日。

始発で向かえばちょうど表彰式の時間に間に合うのでそのプランを実行。


暑いのは百も承知。

呉服屋 兼 染物家としての誇りをもって着物を身に纏(まとい)ました。


あいにく、その時間は見慣れた緑の案内、準急がなく、

いつもなら15分以内の到着駅が30分掛かる。

すでに麻の襦袢は湿っており、首筋から汗が滴る。

袂(たもと)から手拭いを出し、汗を拭う。

もうそれも慣れた。

暑いとは思わない、当たり前なんだと思える。

着物はこの季節も着れる大島紬に、羽織も透けた大島。

角帯は単衣仕立ての博多献上。

そのそれぞれに、

「たくさん汗ごめんね。今日一日頑張ろうね。」

と心の中で声を掛けて時間をやり過ごす。


ふと、不思議な感覚になった。


一五年前、

母から預かったカバンを肩に掛け、

スニーカーにジーパン姿で栃木に行った。

呉服屋の事など何も分からなかった一五年前の自分も、

こうして電車に揺られていたんだなと。


その時は何を考えていたんだろう?

一五年前の自分は何を考えていたんだろう?


決して全てが順風満帆ではなかった。

〜いろんなことをおもいだしながら ときをすごした〜


人って変われるんだなと、そっと笑みを浮かべた。



生徒の一人が同行とあり、途中の地下鉄で無事合流。

昨晩から緊張していた脳が少しほころぶ。


十時前に県展会場がある栃木県・宇都宮に到着。


「あら 涼しい。」


大阪の五時台より圧倒的に涼しく、だが、

どうやらそれは数日前からだと、この後多くの方から聞いた。


会場に着くとすでに会長挨拶が始まっており、そそくさと空いた席に着席する。

ここでも手拭いがよき相棒だ。


表彰式が終わり、忙しそうな師に軽く挨拶をすませ、

生徒と共に展示会場を巡った。


日本画・洋画・工芸美術・書

それぞれのブースに受付があり、会の皆様が優しい空気で接して下さった。

それは修行時代に触れた下平先生のご家族の空気感と同じだった。

栃木の方々は本当に柔らかく、優しい。


日本画、書、その他ブースでも、

先生方が熱心に技法を説明して下さって、大いに勉強になった。

こちらの言葉で表すと、「儲かりまくった」わけであります。


師への挨拶でちらっと目に入った工芸美術のブースでしたが、

じっくりと見る、それは最後にと決めていた。


自分の生徒たちの作品は一番最後にと。


展示片付けを終え、下平先生ご家族と夕食へ(ご馳走様でした!)、

その後ホテルで一泊。

翌日、もう一つの目的であった先生の工房見学へ。

(Iさん、送迎本当に有難う御座いました!)


僕の生徒へご指導下さっている先生を遠目に、

あぁ、もう一つの目標が叶ったんだなと、そう感じました。

下平先生はやはりあの頃と変わらず、燃えたぎっていました。


帰路へ。


ずいぶん昔に母からプレゼントしてもらったぴちぴちのTシャツを着て

新幹線に乗ったら寒いのなんのってw

そういえば行きの新幹線は快適だったな、なんて考えていたら夢の中でした。

その時の夢は内緒にしておきましょう。


ただ、夢中で何かを探していた、とだけ記します。


長いようで短い教室でした。

先の見えないトンネルに入っているような時期もありました。

なくすのはさびしいようで、さびしいようで、さびしい。

だけど、次の目標に真剣に向き合えば何事も成せると、今なら分かる。



なぜかって?



「人は必ず変われるから。」




それが僕が教室のみんなに教えてもらったことだから。



~ fin ~



*気持ちが高ぶっていたのか展示中の自分が「良い!」といった写真を撮り忘れました

生徒たちの作品、以下、自宅内での写真になります 全体を写せず申し訳ない!


~ ayako  丸い心 ~

絹 八寸帯

僕が教室を開いた時からの一番弟子。

一番最初に門を叩いてくれて、一番最後までいて下さいました。

この方がいなかったら僕の教室は成り立っていません(金銭面でもねw)。

思い返せば、県展へは九年前から挑戦して下さっています。

「先生大好き!」と時折言ってくれますが、僕の方が大好きです。

今度抱きしめてやろうと思います。ウソです。

空海展に行かれた時にインスピレーションを受けた図案にて。


~ izumi 願い ~

麻地 タペストリー

気付いたら十年経っていましたね。

教室のみんなをまとめてくれる行動派。

気遣いに長けた優しい優しい方です。

何かの美術展に行ったら、必ず僕にパンフレットを見せて共有して下さる。

それを見た僕は次への勇気をもらえる。与える側、そんな方です。

今度抱きしめてやろうと思います。ウソです。

作品をよく見ると、フクロウの顔や葉っぱがあり、森がテーマになっていますね。

麻に植物染料(カテキュー)と、難しい染め方に挑戦してくれました。


~ yumi 晴れやかなる交感 ~

麻地 三連タペストリー

僕が教室をやめても染物を続けると言ってくれました。

なので今後のため、勉強のため共に県展へ。

民藝が好きで、畑が好きで、柔らかく純粋な方です。

三連それぞれに色のテーマ分けがされていて、

それは簡単なように見えてとても難しい事。

膨大な仕事量と共に、よく頑張ってくれました。

今度抱きしめてやろうと思います。ウソです。

図案は畑で出会ったカメムシだそうですw



さてさて、駆け足でブログにまとめましたが、


最後に、

栃木県美術作家連盟の皆様、今まで大変お世話になりました。

総会に一度も出席せず、搬入出、陳列の手伝いも一度も参加せずに、

本当に申し訳なく思っております。

これからも連盟のさらなる発展を大阪の地より願っています。

至らぬ点ばかりでしたが、本当に有難うございました。

会へ参加できた事を心から誇りに思います。




PS.生徒たちへ

偉そうにも先生なんて立場でやってきました。

ですが、何度でも思うのは、卒業していった子ども達、大人達、

今いる生徒、その全てに僕が救われてきました。

与えられ、教えられていたのはいつも僕の方。

ぬくもりのある教室に育ててくれて有難う!!

心から感謝致します。


次郎









2024年11月13日水曜日

デラカラ~2024~

 

2024/11/4

藤井寺市商店連合会主催

第二回「デラカラ」


去年は毎年恒例の着付け発表会と日程が重なり、主催側ながら不参加。

ならば今年はとあれこれ策を練り込んだ上での初参加となりました。


女将が石川さゆりさんの「天城超え」を前結び替え歌verで唄い、

若女将がその唄に合わせて前結びを実演するという趣向。


僕はというと、あだちの紹介状や割引券付きの歌詞カードを

配ってまわるといった商売根性丸出しの立ち回り。

*手伝ってくれた関係者のお二人、有難う


そんな きもの処 あだちの舞台をUPします。



快晴の当日、デニム着物をまとった僕は準備段階から汗だく。

すぐにインナーをタートルから薄手のシャツに着直していよいよ開幕。

沢山の参加者ののど自慢、湧き上がる観客勢。

飛び入り参加の方もいて、大盛況のうちに幕を閉じました。


出演者の皆様、ご観覧いただいた皆様、

そしてイベント関係者の皆様、誠に有難う御座いました!



当日のPhotoギャラリーはこちら

藤井寺市商店連合会HP





2024年10月21日月曜日

大人の修学旅行(沖縄)

 

師との2人旅の約束が、お客様も巻き込みあれよあれよと9人旅へと変更。

その中のお1人が今回の旅を「大人の修学旅行」と銘打って下さいました。


なるほど。

旅に名前があるのも楽しいものだ。


それほど早くはない朝の電車を乗り継ぎ空港へ。


不慣れな満員電車でさっそく酔い、次の駅でトイレへIN。

気分が悪いまま空港に着いたが、耳抜きが苦手な僕は飛行機内でも苦しんだ。


耳と首の間がピキピキする中、那覇空港に降り立つとそこはとても湿度の高い世界だった。

早速レンタカー屋へタクシーで向かい、みんなを迎えに空港へ戻る。

その後は蕎麦屋さんへ。先生を待つ間での腹ごしらえだ。

何やら人気店らしく、観光客でごった返している。


15分ほど待って待望の沖縄初料理。



ソーキ蕎麦は売り切れで沖縄蕎麦を注文。
蕎麦の味よりも太陽と月を表している赤黄色の箸に興味が湧いた。

時間になり、先生を空港へ迎えに行き那覇市の壺屋通りでみんなと合流した。




この通りで1番歴史のある登り窯や見どころ、名店を先生が案内して下さった。


そのまま国際通り近くの市場へ行き、ブルーシールのアイスクリームを先生が所望。
小さな店先でみんなで食べた。

先生が昔見た市場の景色とは随分違うらしく、
その時は悲しそうな眼をしていたのが印象的だった。


夕食は沖縄舞踊がライブで楽しめる料理店へ。


料理も美味しく、舞踊も素晴らしい、先生は何度も頷きながら口を動かしていた。


〜 2日目 〜

ホテルで朝食を済ませ、「城間紅型工房」へ。
今回、先生の計らいと当主の快い承諾により実現した今旅1番のメインイベントです。


工房玄関前に干されていた藍型が気持ち良さそうに出迎えてくれました。
*工房内は撮影禁止

当主が不在で奥様が対応して下さいましたが、とても丁寧な言葉遣いや優しいやり取りで
紅型初心者でも理解が深まる時間となりました。

また、仕事をなさっていた方々も嫌な顔を1つも見せず、
丁寧に受け答えをして下さった事に心より感謝致します。

9時〜11時までみっちり2時間、されどあっという間の2時間。
良き紅型見学の時間となりました。

(覚書) 藍型 おがくずではなく砂浜から拾う砂を使用


その後、昼食をはさみ (とんかつ/めっちゃ美味!)  首里染織館へ。

ここでは紅型の歴史 (昔〜現在の作品) に触れ、
首里織の実演や主に使用されている染料などの見学をさせて頂きました。


2階にある紅型の実演ルームで自らも紅型工房を構える金城昌太郎氏と出会いました。
先生と昌太郎氏は初対面との事でしたが、お互い芹沢銈介氏とは面識があり、
長い長い、とても奥深い立ち話を繰り広げておられました。


時折降る雨に傘を購入したり、カフェでひと息入れながら首里城へ。




ご存知の通り、2019年の火災により正殿をはじめとする9施設が消失し、
現在復旧中ではありますが、首里一望をひとめ見たく、頑張って登って来ました。

この日の夕食はホテルから徒歩5分ほどの料理店へ。
正直、沖縄に来る前は料理が口に合うのか少し心配してましたが、
どこのお店も美味しく、何より飾られている額絵、料理が盛られているお皿、
敷布、その全てに味があり「民藝」の世界が無意識で創られているんだなと感じました。


〜3日目 〜

この日の朝食は「沖縄第一ホテル」へ。

門戸を開け、庭に入ると古びた椅子が目に入った。
屋根瓦とそれがこのホテルの歴史を物語っている。

扉を開けると芭蕉布が様々な作品に織りなされている。
壁には古紅型が飾られており、棚には金城次郎や島岡達三の絵皿が並んでいる。

料理が用意される間にしっかりと胸にその景色を写し込んだ。

ここもまた、出される物すべてが美しかった。


当たり前の陶器、当たり前の卓布が本当に美しい。


朝食後はもう1つの大イベント、喜如嘉へ向かった。
車で高速を使いおよそ2時間。憧れの芭蕉布に会うためだ。

道中、約1時間半のドライブの後、降り立った道の駅でようやく沖縄の海に出会えた。


空が大きく、雲が格好良く、海の色が優しかった。
左手に海、右手に山を眺めながら車を走らせる。

自然の厳しさと共に育った山々の木が、芹沢図録で見た図案と重なり胸が高鳴った。

沖縄ではハイビスカスの赤が所々を彩り、
ここまで来ると芭蕉の緑が太陽の光を晒し、あちらこちらに映えている。


大宜味村・「芭蕉布会館」

建物に入り、係の方に説明を受ける。
2階の織手さんたちは12時から休憩との事、
到着が11時半だった事もあり、大まかな説明の前に実演を見学させて頂きました。

なるほど湿度の高い地域の織物だけあって、織りなす中で1番重要なポイントは湿度。
屋根のある建物なのにコンクリートの床は水溜りが出来ている。

梅雨期以外は加湿器を常時発動させ、織る合間に霧吹きで水分を与えながら織られている。
高気温に高湿度、美しい布の前にはやはり厳しい仕事風景がありました。

2階で15分〜20分見学しただけで全身が湿っている。
そういえば沖縄に来てからずっと肌は汗ばんでいるし、髪もしっとりと濡れている。

その後1階で係の方から芭蕉布のいろはを聞き、先生から琉球藍の特徴や
芹沢時代の作品制作の裏側をお聞きした。

帰りの下り坂を降りると駐車場の横に民家があり、
ずけずけとお邪魔して沖縄の神話やそのお宅にまつわるエピソードを聞いた。
*おばあちゃんありがとう


同じ道を車で引き返す。
今度は逆で左手に山、右手に海。

当たり前の事だけど、こんな変化に気付ける心を大切にしたいなと、ふと、思った。

昼食はその帰り道にあった道の駅で。
各々、ソーキ蕎麦やアグー豚の定食を注文した。
僕は何も迷わずチキンカレーを頼んだ。

そこから、帰りの道中に先生の発案で「万座毛」なる場所に行きましたが、
僕は運転の疲れもあり、施設で小休憩。

みんなは絶景を堪能されたとの事です。


そして最後の場所へ。



「読谷・やちむんの里」

先生の盟友・稲嶺盛吉氏のガラス工房を訪れました。
先生と稲嶺氏のエピソードは下平清人図録の一文にありますので、
ここでは割愛しますが、どれもダイナミックで力強い作品が並んでいました。

ここでもカフェで小休憩を挟みましたが、とても素晴らしい空間でした。

その後、読谷山窯や金城次郎工房を訪れ、時間の許す限り景色を楽しみ、
ホテルへと帰路に着きました。

夕食はホテル近くの居酒屋へ。
最後の沖縄料理、あいにくホテルへ帰る頃には大雨になり、
びちゃびちゃに濡れながらお店へ入る。

しかしながらこのお店も民藝の香りが濃く、濡れた体よりもそれへの意識が集中される。
出される料理も全て美味。相棒はやはりオリオンビール。

お店を出る頃にはすっかり雨もやみ、ほろ酔い気分でホテルへ戻りました。


〜 最終日 〜

大阪組は8時半にフロントに集合。
先生組は昼前に出れば間に合うのに、僕らの時間に合わせてフロントに
来て下さっていました。

また会おうとみんなで言い合い、いよいよ先生と沖縄とお別れです。


不思議と寂しくない感情。
何度も先生とその言葉を交わして僕はいつの間にか強くなったのだろう。

あの時もそう。この時もそうだった。
その都度、先生との約束を果たして来た。




「ジロちゃん、今度は2人でボロボロの飛行機で離島にでも行こうか。」



僕の先生がくしゃっと笑った。



約束が増えた帰り道。
帰りの飛行機ではなぜか耳が痛くならなかった。





〜 fin 〜