〜受け継がれた型絵染 下平清人 その素晴らしき世界へ〜
2/24(金) ~ 27(月)
〜下平清人先生に触れて〜
僕が染修行のため下平先生の元を訪れたのは東日本大震災から1ヶ月後の
平成23年4月。あだちに入りおよそ1年が経過した頃でした。
那須塩原の街中、被害の様相痛ましく、それは先生宅も同様でした。本来の目的
どころではなく、先づはそれらのお手伝いから僕の染め修行の幕は開けました。
早朝、葉に露が掛かる頃水をやり、畑仕事を一通り終えて朝食。
先生のスピードに合わせて頂き終えれば、すぐさま隣の染工房へ。
先生はいつも汗だくか水まみれ。
先生の作業中のトレードマークといえば腰に掛けた手拭いだが、
一日に数枚は汗だくになる。
先生の動きはとにかく激しく、激しく、
しかし華麗で美しかった。一連の動作の中にあるリズムが、美しさとして現れる。
それは全身で美しいリズムを刻んでいる様だった。
だが、“見る”と“やる”とでは大きく違い、あれほどまでに華麗に見える工程が
どれ程難しいかをすぐに痛感した。染物とはここまで体を動かす仕事だとは
正直、想像もしていませんでした。
「じろちゃん、もっと寒くて厳しい季節に習いに来なきゃダメだよ」
汗だくで足が笑っている僕に、こうして笑顔で喝を下さる。
染めの時間が空けば、土をこねて作陶を。窯の火を夜中まで見つめ、昔話を聞いたり、
銭湯へ行き、先生の背中を感じた。晩は図案に向き合い型を彫る。部屋の灯りを
消すとそこは真っ暗闇の世界。時折、余震が来る。目が覚めて、ふと、先生の
作業部屋に目をやると、そこには灯りがともっている。
(あぁ…先生はまだ型紙と向き合っておられる)
そんな日々が続き、ある日益子へ連れて行って下さった。先生の作品が並んだ
お店が沢山あり、普通に出入り出来ない場所も見学した。そこには優しい表情で
作陶する職人達と語られる、生き生きとされてる先生の姿があった。
外を見ればやはり畑が広がり、土の匂いに木々の色彩が混じり、鶏の声がする。
「じろちゃん、僕の知ってる物作りは豊かだろ」
そう、教えられた気がした。美しい物の元を辿ればこんな人達の汗があり、努力があり、そして想いがある。蹴ろくろを操る職人達は、やはり、泥と汗にまみれている。
「この先、君が出会う物をよく見なさい。感じなさい。偽物に騙されちゃ駄目」
こんな先生の言葉を思い出す。
先生の元での修行では本当に多くの事を学びました。
育てた野菜の味、竹林での筍掘り、生み出す土の香り、染めに向かう姿勢。
それは呉服屋としてどうではなく、人の豊かさについての学びだと感じた。
先生の背中は偉大で、山の様に大きく、厳しく、厳しく、しかし実は
僕の成長を一番に願ってくれている。
先生の感性に感化され、今の僕がある。
ケラケラ笑う先生の表情がたまらなく好きだ。
そんな先生。そんな僕の先生です。是非とも下平清人先生と触れ合いにご来場下さい。
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