2015年5月13日水曜日

河井寛次郎記念館




河井寛次郎は、その生涯を通じいつも子供のように感動する心を失わず、ありとあらゆる物と事の中から喜びを見いだし、そして何よりも人と人生をこよなく愛し大切にした人でありました。

寛次郎は「驚いている自分に驚いている自分」と語っております。

私達は誰でも美しいもの、素晴らしいものにめぐりあえたとき感動し、心豊かになるものですが、翻って(ひるがえって)そんな感動、そんな思いが出来る素晴らしい自分自身には案外気が付かないものです。

寛次郎は、ともすれば私達が忘れがちなそうしたごく身近な心や、形を大切にしました。

ここでご覧頂くものの中には、作陶を初めとした木彫・文章を通じてはげしい表現をしたものが数多くありますが、反面、建築・調度品・蒐集品の中には日々の生活に素を尊んだ寛次郎のしずかな精神を見ることが出来ます。

この記念館は、そんな寛次郎であったことを皆さんに知っていただくとともに、ここが作品を創作した場所であるだけでなく、高く、深く人間を讃えつつ生活をした場であることを観ていただくために開館いたしたのでございます。

私どもにとっては、皆さんにこの記念館をご覧いただいた後、何かの美、何かの感動、何かの驚き、何かのやすらぎを覚えて下されば無上の喜びでございます。


〜河井寛次郎記念館・冊子より引用〜




平成二十七年五月十日撮影


五年ほど前に、著書「火の誓い」を読みし頃より憧れの存在となっておりました。

人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、一陶人として貫いた生涯。

激しい、激しい時代の流れとはこの様な人を育てるのだろうか。

いつかは触れてみたいその部分。いつかは感じてみたいその空気。

そんな願いが叶いました。


〜〜〜〜〜


その後に出席する記念パーティーまでの時間を逆算し、およそ二時間の余裕をみて大阪を出発。

訪れた先はタイトル通りの河井寛次郎記念館。

京都の大通りから少し狭い道を行く先にその記念館はあった。

事前に調べた情報では、素焼窯や登り窯も残されており、広大なイメージだった。

しかし想像とは異なる。そう。ここはいわゆる住宅街である。

本当にこの場で窯を見れるのかという不安と、ようやく、、、という心のときめきが入り混じる。

しかしそんな心の動きは瞬時に消え去った。


出迎えてくれたのは記念館の大看板。

これも事前情報で知っていた。

憧れの両人(黒田辰秋作・棟方志功筆)が手掛けた作品を前に、しばしその場で時間が過ぎ去る。

玄関を越え、受付に向かう間も素晴らしい内装が目を、心を癒してくれる。

ある空間に入る前に、これほど心がときめく瞬間もそうはない。

それはまるで、子供の頃に感じた遊園地への一歩だ。

そしてここで驚愕の事実を耳にする。

なんとこの記念館は、申し出・身元を明かす事を条件に、撮影が許されるのだそうだ。

その後のパーティー、記念館の全容だけでもと思っていたので、一眼レフはばっちりカバンの中に潜めてある。

館内にはデジタルカメラ、一眼レフ、スマホを片手にお客様がパシャり・パシャりとやっている。

言わずもがな、僕も瞬時にその一人となった。


無我夢中。


お嬢など、居ないが如く、着物など、着ていないが如く。

素晴らしい空気を一眼レフで切り取っていく。

背を伸ばし、膝をつき、かがみ、手を伸ばし。

それと同時に、自らの脳にもしっかりとその場の印象を焼き付けていく。


本当に心に栄養が宿って来る。

凄い。と言う言葉が何度も胸を叩く。


気がつけば予定の二時間など早々と過ぎ去り、撮影枚数もゆうに二百枚は超えている。


いけない。いけない。

次に向かわねば。


館内の来た道を引き返す。

これがまた、違ったアングルに見えてきて指先が止まらない。それに伴って、行く足は止まる。


いけない。いけない。

次に向かわねば。


館内を出て、もう一度大看板に目をやる。


「凄い」


何故か大看板に向かっておじぎをしている僕がいた。


〜〜〜〜〜


パーティーも終わり、帰路へ。

帰って来てから酒の満たされた脳で、今日の収穫に一人にんまり。

ブログを書くには当然、写真は充実している。

氏の作品もほぼ全てを撮れた。

後は文章をどう組み込むか、だろうか。

翌朝にでもじっくり考えよう。


〜〜〜〜〜


しかし、眠りにつく時に、ふと、こんな事が頭をよぎる。


「自分の満足の為にこんな偉大な作品を軽々と載せて良いのか」

「いくら撮影可とはいえ、氏と国の財産である作品を掲載する価値がこのブログにあるのか」


僕の答えは否でした。

約二百枚あるうちの一枚だけを掲載させて頂きました。

そして、いっぱい悩んでいっぱい考えた結果、風景に写り込んでいる作品以外、つまりは作品を主体に写したデータは一枚を除き全て消去しました。

*その一枚はデザイン参考の為。恐れ多くもそのデザインを元に何かを作ってみたい。


次もその作品たちに出会える時があるならば、その時もまた新鮮な「凄い」を胸に叩きつけて欲しい。

せっかく撮った可愛い我が子だけど、そんな想いでもあります。

切り取った空気ではなく、本物の空気をやはり吸いたい。


次の目標は、母と姉にこの空気を吸わせてあげる事。


それまではこの日の写真は封印と致しましょう。


写真に関しては選びに選んだ訳でもなく、直感的に僕の一番のお気に入り。



五月の陽射しを受け、愛された民藝が黄金色に輝いてました。

本当に美しい。













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