現在の呉服業では極めて流通が難しく、生産性ですら失われている着物があります。
それは「木綿」。実際に店頭に置いてある呉服屋は希少だと聞きます。
リーズナブルで、気を使わずに接せられ、着物初心者に優しいはずの価格帯でありながら、事実、それが小売業のタガとなっている。
しかしこれほど庶民的で、着物本来の良さを醸し出す天然素材は稀である。
単衣(ひとえ)仕立てで2シーズン着れる点も大きな特徴。
すなわち一年間のうち、305日。*袷(あわせ)なら約180日
汚れや汗に対しても自宅で洗え、それを言い換えると臭いにも強い。
本当の意味での普段着である。
着心地は賛否両論あると思いますが、私感では、柔らかく肌を包み、天然素材ならではのあたたかみがあります。
シワになりやすいと言う欠点こそあれど、長時間正座をするお茶会や、パーティーなどには元々そぐわない。
あくまでも普段着である。
僕には木綿を着る上でのお決まりのパターンがあります。
それは着物の下に長襦袢を着るのではなく、その代わりに普段着同様のバティック柄のネルシャツを合わせる。
お気に入りのチェック柄の木綿に、首元までボタンをびっちり締めて、その柄を主張する。
そんな現代の普段着と、古き着物の普段着を合わせるのがたまらなく好きである。
足袋もとびっきり斬新な柄にして、角帯も思いっきり遊んだ柄の木綿。
寒ければスヌード、暑ければ襟付きの半袖シャツを。
肩にショルダーバックを背負えば、まさに僕だけのコーディネートになる。
「エイッ!」
っと水溜りにジャンプしても恐くはないぞ!
流通が厳しくなろうが、商売が難儀だろうが、僕は木綿に本来の着物を見出す。
汚れれば自宅で着物を解き、各部位を縫い合わせ、一枚の反物に戻す。
縮まないように伸子を張って自らが洗う。
自分自身にも問いますが、この行為でどれほどの価値が見出せるんだろう。
一枚の布に注ぐ手間暇=着物への愛情。
その愛情を商いと出来る呉服屋になりたい。
厳しいからこそ、そんな原風景に夢を見て、憧れる。
語弊があるが、応援したくなる。
また一軒、木綿を織る機屋さんが廃業したと聞きました。
失ってほしくない。頑張って欲しい。
自分には一生叶わぬ才。だからこそ憧れる。
商品の良し悪しではなく、「作品」としての良し悪しであるはず。
そんな自分の目を、僕は信じる。
こんなに素晴らしい織物があります。
着物初心者から普段使い出来る上級者にまで触れ合って頂きたい。
これから先もきっと、あだちには木綿の着物が並び続けます。
「呉服屋の男が自分の着物を汚さなくなったら廃業」
僕が呉服屋に入った時に心に定めた持論であります。
こんな僕には木綿は強い味方である。
「KIPPE〜きっぺ〜」
米沢で織られている木綿。僕の好みの色、二反限りを仕入れました。
縞の風合いがおおらかで、いかにも東北らしい。色、柄と共に、木綿の良さを存分に発揮した作品です。興味のある方はお早めに。
*KIPPE=「着っぺ」…米沢(山形県置賜地方)の方言で「着よう」の意味です。
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