2015年2月9日月曜日

紅柄ルネサンス



皆様はベンガラという色をご存知でしょうか。

一言でいえばレンガ色。現代の赤より深く、重いといったところでしょう。

褐色。

Wikipediaには江戸時代にインドのベンガル地方より輸入されたことよりその名がついたと記されています。


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僕の染めの先生から聞いた言葉がある。

岡山にベンガラの産地があり、そこにある一つのベンガラは本物だと。

忘れもしない。

決して簡単には素晴らしいと発しない人が本物だと表現した。

僕には師の言葉がある。


「指の腹に感じるものが違う。強い。」


その言葉を聞いた時にはすでに心が欲していた。

残念ながら、今は師の手元にもそれは残っていないと言う。

自分で練り、自分で挿し、自分で色を味わってみたい。

ベンガラを練るたびにその言葉を思い出す。

それから何年だろうか。

去年、ようやくその願いが叶った。

6月12日にそのベンガラの故郷である、吹屋〜西江邸を訪れた。

小雨の降る中、山道を車で走り、到着した先には急な坂道があった。

無料で開放されている駐車場に車を停め、妻と一緒に坂道を歩く。

運動不足のそれとは違い、明らかに胸の鼓動が高まる。

予約を取っている訳でもなく、そのベンガラを見せてもらえる算段もない。

しかし、その鼓動は治まってくれない。

坂道を登り終えると、すぐにそれと分かる建物が現れた。

重みのある建造物と瓦の色。ベンガラだ。

悠然とした佇まいに緑の中に映える赤。

それだけで見惚れてしまう。

受付らしき場所が玄関にあり、少し待つと優しそうな表情の女性が出迎えてくれた。

日常から有料開館しているとあって、先に目的を告げるのは失礼だと思った。

あくまでも西江邸の見学に来た一人のつもりで。

これで良かった。

女性の慣れた解説を聞いていくうちに、この人が何を守ろうとしてきたか、何を伝えようとしてきたのかに魅了された。

雨の降る中、軒先のベンガラ色の瓦屋根の下で、この地域の多くの歴史を教えて下さった。

それは安易に発言できる事ではなく、西江邸歴代当主が行ってきた民衆に対する深い恩恵だと感じた。

ベンガラで栄えた地の歴史。思わぬ収穫であった。

そして、現代でいえば食卓のような場所へ案内された。

西江邸のベンガラを用いた様々な作家の作品が並べられている。

その中に、染物、師の作品があった。

ようやくここで思いの丈を伝える。

大阪から来た呉服屋で、先生のところで修行をさせて頂き、西江邸のベンガラの話を聞いて来ました。と。

そのベンガラを見せて頂けませんか。と。

すると女性がお待ち下さいとどこかに行ってしまった。

その間に僕は、壊れた釜や割れた石畳を撮影したのを覚えている。

日常ではめったに出会えぬ温もりに触れていた。

いくばくかの時間が流れた。

現れたのは一人の男性。

これまた優しそうな表情と、ようこそ遠い所からと声を掛けて下さった。

現西江邸当主の西江さんである。先ほどの女性は奥様でもあった。

経緯はすでに伝わっているようで、すぐにベンガラの説明をして下さった。

ローハの製法。ペンキタイプとの違い。歴史。鉱山。作り手。

瞳の奥が燃えてくる。


熱い!熱い!


西江さんから伝わる熱気。

本当に守ってきたものは重く、後世に伝えていきたいという想い。

使命。

現在でも日光東照宮などの重要文化財の修復に使われる西江邸のベンガラ。

今、蔵にある鉱物がなくなれば終わりだと聞かされた。

しかしそれは何百年分であり、それより大事なのはその種を活かせる製法なのだと言う。

一時間以上は経っただろうか。


「より昔に近い、より、品質、色の良いベンガラを僕は目指していくよ。」


そう語る西江さんの瞳の奥は、やはり熱い。


ベンガラ=弁柄を西江邸では「紅柄」と書く。

それは、深い歴史の中で芸術家たちに愛されてきた、赤の中の赤。真の赤の証明である。

西江さんはそんなベンガラの再生を見出す、唯一人の人物なのかもしれない。


「これを持っていきなさい。僕の一番の新作を君に預けるよ。きっと良い色が出る。」


師の言葉から始まり、憧れたベンガラ。そしてまた、熱い想いの人に出会い、その結晶を受け取った。

この地に訪れて本当に良かった。

帰路に着くため外に出ると、すっかり雨は上がり、新緑の葉に雫が垂れ下がっていた。

ふと、ベンガラの瓦に目をやると、西江邸の家紋である蝶が美しく舞っていた。

もう一度、見惚れてしまう自分がいる。


天然のベンガラの再生=紅柄ルネサンス。


大切に練らせていただいてます。








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