2015年3月13日金曜日

おばあちゃん



価値観が合わぬ人にはくだらなすぎる話をお一つ。


平成二十七年三月十三日(金)


今日はご褒美を頂きました。誰からかは知る由も無いが、間違いのない道には良縁が待っているのだと信じたい。

大正十三年生まれの九十一歳。こんなおばあちゃんがお一人で来店されました。

僕としては「大正」と言う響きだけでときめく。

杖の代わりとは言え、手にガラガラバッグを引き、足取りはおおよそのそれとは信じ難いものがあった。

耳は若干遠いとは感じたが、口調は僕達となんら変わらず、それどころか、おばあちゃん独特の優しさが溢れ出ている。僕達には真似の出来ぬ魔法。

お年を聞いた時の僕の驚嘆した様は、ある意味では失礼だったかもしれない。

詳しく話を聞けば、あだちの休眠客であり、先代の頃のご贔屓であり、およそ20年ぶりの来店だと言う。

僕にとってはこんなおばあちゃんと話せる時間がとても有意義に思えた。

戦前を知り、戦後を見てきた貴重な存在。無論、その他にも日本の歴史を肌で感じて来た存在でもある。

日本にとって大きな爪痕となった東日本大震災。その被災地展の最中に出会ったのだから、それもまた何かを感じずにはいられなかった。

それと同時に、古くから着物好きとあらば、僕の憧れる民藝の世界も数多く目にして来たはずだ。

そんな存在と話せるだけで、その時代のその人に会ったかの様に心がときめいてくる。

偉大な先人達と同じ空気を吸えている感覚。

そして、おばあちゃんと話をしている内に愛らしく、とても愛おしく思えてくる。

自然と優しくなれる気持ち。

僕には自分のおじいちゃんの記憶が少しだけあり、おばあちゃんの記憶にいたってはほぼ無に等しい。

物心ついた時にはおじいちゃんと同居していたので、田舎と呼べる環境も無かった。

だからきっと、生物への憧れからか昔の夢は生物学者なのであろう。

夏休みに田舎へ行き、カブトムシやクワガタを捕まえて帰って来る同級生達が羨ましくて仕方がなかった。

このおばあちゃんと話をしている内に、こんな昔のくだらない事を思い出した。

自然と笑みがこぼれ、心が子供に返る。


被災地の手仕事のカバンを一つ、キーホルダーを二つ購入して下さいました。

もうすぐ玄孫(やしゃご)が生まれると聞いて、もう一度僕は驚嘆した。




「おばあちゃん。玄孫が生まれるまで今のまま元気でいなきゃね!何も買わなくても良いからさ、うちにもまた元気な顔を見せに来てよ。」






おばあちゃんが聞かせてくれた話のお礼と、元気でいて欲しいから、被災地のにぎにぎリンゴを一つプレゼントしました。

昔の人は本当に他人から受け取った気持ちを有り難そうに言葉にし、そして顔全体で表現して下さる。

それを見て、また自然と笑みがこぼれる。子供に返れた時間がありました。


それは決して、誰もが得れる時ではなく、心の豊かさがもたらしてくれた瞬間だと信じます。


おばあちゃん、いつまでもげんきでいてね。

あばあちゃん、きょうはありがとう。








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