いつか感じた違和感は間違いではありませんでした。
自分が経験してきた常識が脆くも崩れ落ちる。
そんな事を感じた時がありました。
「器用」
ずいぶん昔から、僕もこの言葉を大人と呼ばれる世界の住人達に発せられ続けたのを覚えています。
大人、同年代から浴びせられる言葉を理解できない。
「これが?なぜ?」
だが決して、悪い気分ではない。
今で思えばセンスであり、親が与えてくれた術でもある。
そして、その先の世界を知らなかったとも言える。
脳が描く世界を伝達し、指先が自由に動く。あなたが描く世界を表現できる。
大人になったからこそ、伝えてあげたい世界。
「これだけでね、本当に素晴らしい事なんだよ。」
と、伝えたい。
褒めているつもりは僕にはない。
自然と、ごく自然と発する言葉。
気持ち。
気持ちだけは篭っている。
その刹那。
何とも言えない、子供達が何物にも代え難い表情に変化する。
これが僕にはたまらない。
とても得意気で、かつ、自信に溢れている。
その言葉が栄養。その蓄えを存分に吸収して欲しい。
僕の教室が存在する由縁。
駄目な事はダメと言えばいい、危険な行為はキケンと伝えればいい。
子供達は実にそれを理解している。
この刃がこれだけ切れるなら、我が身を。
血で理解できるなら、僕の身を切って、いつでも僕の血で教えてあげる。
僕の生徒はみんな可愛い。
この子達が傷つくなら、いつでも僕が身代わりになります。
そんな覚悟の上。
いつだって可愛く、いつだって成長を見せてくれる。そんな僕の教え子たち。
あくまでも外の世界の教育ではなく、僕の教室の中だけの話ではありますが。
怖がらせる妙味。
嫌な言葉を聞かされながら、一度痛い目を感じて覚えるのか、大人が持つ魔法の言葉でそれを防ぐ努力をするのか。
僕は言うに及ばず後者を選びます。
その先に「叱る」と言う行為があるはずです。
「褒めてあげる魔法」
怖がる事に真摯に向き合う子供だからこそ、「怖がらせる妙味」を利用できないのは、大人の重責である。
冒頭の通り、今日は再認識の日でした。
僕の感覚は間違っていなかった。
昔からこの子たちを知り、センスを知り、その才能を伸ばしてみたくなる。
やはり「器用」の塊でした。
真の、僕のセンスとは。
染料、画材の需要が失われている昨今、見直すべき点は自分自身ではありませんか?
嘆くなら供給を増やす努力をすれば良い。
未来にはこんなに輝く原石があるのだから。
僕はこの子達を宝石に変えてみせます。
〜宝石に魅せられて〜了〜
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