2022年11月19日土曜日

大好きな小紋

 

「小紋」

今回はその定義は置いといて、

僕が好きになった逸品のお話をしようと思う。


〜己の気を抜かず、だけども力を抜く〜


矛盾しているけど、それが職人の域。


僕が大好きな問屋兼製造元(メーカー)があります。

その会社は今は経営業態が変わって

昔ほどの付き合いはありませんが、

本物志向・妥協のない社員の姿勢は

呉服屋に入りたての僕に今の礎を築いて

下いました。


〜なるほど、この人のこんな言い方が良いのか〜

〜なるほど、この染物はこう説明すのるか〜

〜そうか、この染物はこんな人が染めているのか〜


語り出したらキリが無いほど、

先輩方に商いの味を吸収させて頂きました。


時折、京都にてその先輩方と顔を合わせますが、

その都度好いて頂いて、その都度、

全力で甘えております。


そんな方々と職人さんが作り上げた作品は、

やはり何度見ても良い。


その会社が染め出した小紋が素晴らしい。

丸巻き(上の部分)を見てもらえれば
分かる通り、裏まで通った顔料に対して白場(糊部)が圧倒的に少ない。


これは僕の師と同じ技術です。
今の僕なんて遥か遠く及ばず、
〜語る事は出来ても遠く、とても遠い世界〜
まだまだここに至るには努力が必要です。


今朝、たまたまこの小紋に触れ、
当時の先輩方や先生の事を思い出し、
読者の皆様に共有したくポチポチ書き出しました。


先輩方がこの記事をみつけてくれたら
一番嬉しいな!










2022年7月28日木曜日

世界で一つだけのハンカチ


地元、四天王寺小学校に藍染めを教えに行って
早三年目。

コロナ禍以前はあだちで行っていたので、
それも含めて五年目だろうか。

夏休み期間の藍染めは、市が主催のイベントで
数回行っているので記憶が曖昧なのだが、
多分そんなものだろう。

今年もそんな季節がやって来た。


子供達に教えていて何が楽しいかというと、
それは純粋な心の表現。

これを言ったら子供達はきっと驚くだろうな
というポイントがいくつかある。

その都度、
声を発する子、目を大きく見開く子、
手を使う子、体全体で驚く子、

それに共鳴し、僕の心もピュアになっていく。


作業中は子供達の顔が映っているので
写真は省きますが、

絞り、藍染め経て、今年は自ら絞りを解き、
洗ってから感想交流・質問までを行えました。

〜みんなが染めた藍の表情〜

今年もまた、
世界に一つだけのハンカチが生まれました。


手伝ってくれた生徒達、
そして何より何度もうちに足を運び、熱心に
藍染め体験を成功に導いた先生方に感謝致します。



また来年も、沢山の笑顔の花を咲かせたいと思う。





2022年7月14日木曜日

十一年の時を経て


R4 7/12-13

下平清人先生の図録撮影のため、
栃木県那須塩原にある先生の工房へお伺いした。

大阪から電車と新幹線を乗り継ぎ五時間半ほど。

修行の時に二度三度、
父親の三回忌等で往復はしているが、
胸の高鳴りをこの日初めて聞いた様に感じる。



およそ十一年の時を経て足を踏み入れました。

生憎の雨模様とはいえ、
7月とは思えない気温と空気感、
そして眼前に広がる緑の開放感に
大阪との距離を感じた。

修行の時はあの部屋で過ごし、
夜風に吹かれながら缶ビールを片手に
タバコに火をつけるのが毎日の楽しみだったなと、
想いにふける。

先生は相変わらず忙しい方で、
そんな想いも刹那、
すぐに仕事に取り掛かる声が響く。

軽く撮影の打合せを終えると、
懐かしくもあの時の厳しい表情がそこにある。






呉(ご)汁、糊、ラッカー、生地、灯油..etc
様々な道具の匂いが混じり合い、
自分を冴えさせる。

生地の上を行き来する刷毛の音が何とも心地良く、
そっと目を閉じた。

僕にとってそれは、どんな音よりも贅沢だ。

最後の引き方で音色が変わるので、
ゆっくりと目を開け、生地の色を見た。
そこには音色通りの色が結果として現れている。

僕も堪らずそのリズムを刻みたくなったが、
今日は撮影班だと自分に言い聞かし、
ぐっと我慢した。

きっと僕が
「やらせて下さい!」
と言えば先生は、クチャッと顔を緩ませ、
「なんだい、君もやりたいのかね。」
と、刷毛を渡して下さったと思う。








十一年前には何も感じなかった物や、色や、音が、
僕の肩を叩き、呼び掛けてくれる。

使い込まれた道具、匂いが染みついた壁、柱、
糊を吸った板場、汗と染料にまみれた足元の土。

その全てが美しく、鼓動している。

右も左も分からないまま修行に出、
染物が好きになり、民藝の心を知り、
そして呉服が大好きになった。

十一年なんて修行の時と比べると
あっという間だった気がする。

それだけ先生に厳しく厳しく育て上げて頂いた。

「帰れ!」
「戻って来るな!」
と何度言われた事か。

それでも毎朝、畑を耕し、季が来れば
一緒に筍を掘った。

その背中と染物をしている背中の矛盾が
先生の人間としての魅力なんだと思う。


一度、先生からとびきりのご褒美を頂いた。


「君なら芹沢の所で働けたかもしれないね。」


二十三年間の先生の労の欠片を知っている。
先生のそれと自分とを少しでも重ねて下さった。


「いえ、とんでもないです。」
と返し、心で泣いたのを覚えています。


物を見る目、音を聞く力、匂いの質、
時に舌。


下平清人先生の魂はしっかり僕が受け継いでいる。
そう感じる旅になりました。



〜 fin 〜