2015年3月31日火曜日

2015年3月29日日曜日

水元〜誕生















平成二十七年三月二十九日


型絵染教室・子供染め教室

 「暖簾」「テーブルセンター」








2015年3月28日土曜日

十三詣り



七五三ほど全国的に知られてはいないものの、関西では昔から盛んであり、関東でもごく一部で盛んな地域があると聞きます。


あだちが営む大阪では勿論の事、毎年数件のお声を頂きます。

七五三とはまた違う初々しさがあり、少なからず本人の恥じらいが見え隠れする。

同行する親御さん、おじいちゃん、おばあちゃんも然り。

きっと、親子三代での着姿のお詣りはこれが最後になる寂しさもある。

子供としてのやんちゃな一面は無くなり、物事の筋が見えて来る年頃。

本人の記憶も七五三より鮮明であろう。

それを肌で感じ、忘れずに、最高の想い出となる「時」の手伝いが出来る様、僕たち呉服屋は努めなくてはならない。

それと同時に、他よりも一つ多く、家族の温かみを感じられる地域性を幸せだとも感じます。


男女問わず数え年の十三歳で行う祝いの儀であり、新暦・三月十三日〜五月十三日に寺社に詣るのが一般的である。

十三と言う数字は自分の干支が一巡した事を示し、この世に生を授かって初めての厄年ともなります。

また、特に女の子は身体的にも大人へと成長する時期であり、大人の寸法=本身裁ち(肩身上げは必ずします)で初めて着物を着るのも十三詣りからとされています。(*)


(*)近年では子供の体の成長も早く、十三詣りより以前に本身裁ちをする場合があります。


詣る事により知恵を授かり(*)、厄を祓い、大人の階段をまた一歩上っていきます。


(*)本来は京都の法輪寺。厄を祓い知恵と丈夫な体を授かりに行くお詣りであり、その帰り道にある渡月橋を渡る時に授かった知恵が元に戻らない様に橋を渡り終えるまで決して後ろを振り返ってはいけないと伝えられています。


それは、七五三〜成人式の間にある家族の想い。

いつまでも健やかにと。ここまで育ってくれて有難うと。そして…。


親の愛情を結晶として感じてなりません。






平成二十七年三月二十八日

〜母より譲られた振袖にて〜


「十三詣り」


本当におめでとう御座います。

これからの健やかなる成長をお祈り申し上げます。








2015年3月24日火曜日

記録更新中




悪い癖が出て来た。


不名誉な事ながら、四月を目前に未だ2015年の初釣行に行けていない。

これは自分にとっては記録であり、最も伸ばしたくない記録でもある。


釣りには行けないが、釣具と触れ合う時間は毎日ある。

いや、その分増えると言ったところだろうか。

魚種を問わず、どんな釣方でも好きなのでありまして、今現在の我が卓上は何を釣りたいのかさっぱりと言った状態であります。


メタルジグに鯛ラバ、ラバージグ&シャッドテール、小型ミノーに極小ジグヘッド、アシストフックにティンセル、ベイトリールにスピニング…etc

毎日それらをローテーションして釣欲を満たしているのであります。

暇さえあれば、片手でにぎにぎ。テレビを観ながらその子をじろじろ。

釣りをする前に手垢で魚が逃げそうであります。






悪い癖が出て来た。

無意味にガイドを取り外したくなる。

左の一本はスロー用のロッドであり、強度よりブランクスの粘りを最大限に引き出したいとの明確な狙いがあり、ガイドラッピングを必要最低限で抑えてある。

三回釣行に連れて行き、その結果に一人にんまりしているのである。

今回は先ほどの「無意味」。

狙いもコンセプトも全く無く、ただ単にイジると言っただけの行動である。

一つだけ言うなれば、新品で購入し未使用であると言う事。

すなわち、弄る前の使用感も知らず、このロッドに対する不満は全く無いと言う事であります。



変態である。



しかし天龍ブランドのダブルラッピングシステムは素晴らしい。

酷使する前に外してしまったので強度云々は知り得ないが、下地の丁寧さに共感を覚える。何より仕事が美しい。

そこから導き出せば、強度も然りと言ったところであろうか。


ああ、春だね。

ぼちぼちラインを巻き替えておこう。








2015年3月18日水曜日

2015年3月17日火曜日

お気に入りの一枚






仕事としてどうとかでは無く、ただ単に美しいと思える手の感覚を表した一枚。


「型紙・手筒」併用








2015年3月16日月曜日

呉服屋が出来る被災地支援〜閉幕〜



あだちでは一年を通して被災地へ送る着物や長襦袢の寄付を募っております。

主に復旧出来ていない水産関係の仕事をしていた女性たちを対象に、それらの品を使って作品が作られ、こちらに戻って来ます。

それらの機能が効率よく循環出来れば、被災地にとって貴重な現金収入が得られます。

寄付を頂いてなお、購入というご支援によって成り立つ様に思えるこの取り組みですが、視点を少しずらして見れば、誰かと集まれる場所、誰かと話せる場所、誰かと一緒にいれる場の提供=コミュニケーションの場=コミュニティーと言う図式が成立します。

震災直後はそのような場が、自分の立たされた道に対して前を向く原動力となったはずです。口にするのも嫌ですが、臆せずに書くと、少しでも関連死を防げる時間ともなるはずです。

現金収入も大事なことですが、もっともっと心の奥の大切な事。誰かと寄り添う空間。

それは、皆様から寄付された着物たちによって創り出されています。

寄付を頂く中で、様々に寄せられる声。


〜捨てられない、祖母の想いがあるから〜死ぬまで持っておこうと思ってました〜捨てられない、母がこの着物に宿っているようで〜


その後に皆さん必ずこう仰います。


「でも、少しでも被災地のお役に立てるなら、母(祖母)も喜ぶと思います。どうぞ送ってやって下さい。宜しくお願いします。」


そんな想いに僕たちは真摯に向き合わなければいけない立場です。

出来る事はただ一つ。

募る行為を継続し、頂いた気持ちに感謝し、大切に被災地へと届ける。



〜〜〜〜〜〜〜〜



ここ最近、ホームページを新設してから仕事を終えた後も、自宅でパソコンと睨めっこをしている。

箸を持つのを後回しにし、PCをカチャカチャ。目の前に晩御飯が並んでいるのに、焼酎片手に知らんぷり。何ともお行儀の悪い話であります。

しかし、お酒が入ると脳が潤滑油を得たかのように文章が羅列するのもこれまた事実。

ブログ二つにF.B、そしてHP管理。

もともと遅い晩御飯に加えて、寝るのを拒むように脳が覚醒する。

書かなければならないと言う使命がある記事以外は、取り除こうかと真剣に思案中であります。



〜〜〜〜〜〜〜〜



先日、このようなお客様が来店されました。

電話でのお問い合わせで、話を聞けば近々大阪から北海道へ引越しをされるとの事。

お母様が残された着物が大量にあり、処分に困っているとの事でした。

そして付け加えるように、「一つは想い出にとっておきたい」と。

それでしたら、いる・いらないの選別はお任せくださいとお伝えしました。

その日の内に、ぎっしり詰まった大きなダンボールを一つ。まだ入りきらない着物数枚を抱え旦那様が運び込んでくれました。

ウールに木綿に染めに織り。多種多様な着物たちが詰まっている。

今回の課題は、引越しの荷物を少しでも減らしたく、かつ、お母様の想い出を一つだけ残したい。

お母様は本当に着物が好きな方だったのであろう。くたくたになるまで着込まれた布たちが物語っていました。

結局、夏用の絽の喪服一式(帯含む)、冬用の袷の喪服一式(帯含む)、お洒落着一式(帯含む)+羽織、フォーマル袋帯をこちらの提案でお持ち帰りして頂きました。

この結果こそ、プロによる「間違いのない判断」だと自負しております。


話の流れの中で会話した内容が、素直に嬉しく思えた。


「ネットで着物の処分の事を調べていたら、あだちさんのホームページが目に止まりました。ブログの文章を読ませてもらい、捨てられないでいた母の着物たちを任せようと思いました。被災地で役立てていただけるならこれ以上の選択肢はないと思い、持って来ました。」


時間を惜しむように書いてきた種がようやく咲いたんだと、素直に嬉しかった。

ブログで培ってきた力がホームページへと宿り、こんな結果をもたらしてくれた。





素直に喜びます。

ホームページ新設、ブログによる新たなるご縁。

茶道教室二件・たんすコンシェルジュ一件・きもの支援三件・その他問い合わせ数件。

まだまだスタート地点ですが、俄然やる気だけは起こります。


やれやれ、まだ当分の間は先述の生活が続きそうであります。



*平成二十七年度きもの処あだちの被災地展を終えました。震災翌年から始めた被災地展も、今回で四回目となりました。これも偏に応援して下さる皆様がいるからに他なりません。ご来場下さった皆様方、ご協力下さった皆様方、並びに、紙面に取り上げて下さった新聞社様各位。この場をお借りして御礼申し上げます。弛まぬ応援を本当に有難う御座いました。終えた時点ではありますが気持ちはすでに来年の開催へと向いております。どうぞ変わらぬご助力のほど、今後共宜しくお願い致します。有難う御座いました。良き六日間であった事をご報告致します。








2015年3月13日金曜日

おばあちゃん



価値観が合わぬ人にはくだらなすぎる話をお一つ。


平成二十七年三月十三日(金)


今日はご褒美を頂きました。誰からかは知る由も無いが、間違いのない道には良縁が待っているのだと信じたい。

大正十三年生まれの九十一歳。こんなおばあちゃんがお一人で来店されました。

僕としては「大正」と言う響きだけでときめく。

杖の代わりとは言え、手にガラガラバッグを引き、足取りはおおよそのそれとは信じ難いものがあった。

耳は若干遠いとは感じたが、口調は僕達となんら変わらず、それどころか、おばあちゃん独特の優しさが溢れ出ている。僕達には真似の出来ぬ魔法。

お年を聞いた時の僕の驚嘆した様は、ある意味では失礼だったかもしれない。

詳しく話を聞けば、あだちの休眠客であり、先代の頃のご贔屓であり、およそ20年ぶりの来店だと言う。

僕にとってはこんなおばあちゃんと話せる時間がとても有意義に思えた。

戦前を知り、戦後を見てきた貴重な存在。無論、その他にも日本の歴史を肌で感じて来た存在でもある。

日本にとって大きな爪痕となった東日本大震災。その被災地展の最中に出会ったのだから、それもまた何かを感じずにはいられなかった。

それと同時に、古くから着物好きとあらば、僕の憧れる民藝の世界も数多く目にして来たはずだ。

そんな存在と話せるだけで、その時代のその人に会ったかの様に心がときめいてくる。

偉大な先人達と同じ空気を吸えている感覚。

そして、おばあちゃんと話をしている内に愛らしく、とても愛おしく思えてくる。

自然と優しくなれる気持ち。

僕には自分のおじいちゃんの記憶が少しだけあり、おばあちゃんの記憶にいたってはほぼ無に等しい。

物心ついた時にはおじいちゃんと同居していたので、田舎と呼べる環境も無かった。

だからきっと、生物への憧れからか昔の夢は生物学者なのであろう。

夏休みに田舎へ行き、カブトムシやクワガタを捕まえて帰って来る同級生達が羨ましくて仕方がなかった。

このおばあちゃんと話をしている内に、こんな昔のくだらない事を思い出した。

自然と笑みがこぼれ、心が子供に返る。


被災地の手仕事のカバンを一つ、キーホルダーを二つ購入して下さいました。

もうすぐ玄孫(やしゃご)が生まれると聞いて、もう一度僕は驚嘆した。




「おばあちゃん。玄孫が生まれるまで今のまま元気でいなきゃね!何も買わなくても良いからさ、うちにもまた元気な顔を見せに来てよ。」






おばあちゃんが聞かせてくれた話のお礼と、元気でいて欲しいから、被災地のにぎにぎリンゴを一つプレゼントしました。

昔の人は本当に他人から受け取った気持ちを有り難そうに言葉にし、そして顔全体で表現して下さる。

それを見て、また自然と笑みがこぼれる。子供に返れた時間がありました。


それは決して、誰もが得れる時ではなく、心の豊かさがもたらしてくれた瞬間だと信じます。


おばあちゃん、いつまでもげんきでいてね。

あばあちゃん、きょうはありがとう。








2015年3月11日水曜日

何より…



今日はある人に感動しました。

年は僕たちと同年代だろうか。

失礼を承知で書くと、いくばくか、天然の香りがする。

しかし第一印象とは裏腹に、熱心に話を聞いて下さり、急ぎ足でノートにペンを走らせる。

一瞬、一瞬、目が合わない時が存在するが、明らかにその時間よりも僕の瞳を見ている時間の方が長かった。

目と目の焦点が合っているのに、僕の視界の下の方では何やら騒がしく動いている。

ぼやっとしている空間の中で、忙しく手が動いている。


「あぁ、なるほど。ノートを見ずに書くんだ。この人は目と目を合わせる大切さを知っているんだ。」


そんな事を思いながらも、いかにこの人が熱心なのかがこちらに伝わる。

優に二時間はいらっしゃっただろうか。

熱の問いに、こちらの答にもそれがこもる。


被災地への支援としてやってきた行いには、一片の曇りもない。

会期中は商いをしないのが家族全員の認識であり、本来の目的の為に舌を枯らすのが本望である。


帰社してもなお、二度の電話を下さり、確認事項を聞いて下さった。

こちらの中途半端を埋めていく作業であろう。


真剣に聞き出してくれる事が、何より嬉しい。

真剣な問いを投げかけてくれる事が、何より嬉しい。

真剣に理解しようとしてくれる姿勢が、何より嬉しい。


いい記事を書こうと真剣に思って下さっている。

そして何よりも、ご自身が被災地への応援をして下さいました。

福島県の仮設住宅に訪れた写真を見たら、そっと100円玉を募金箱に入れて下さった。


新聞記者と呉服屋という壁を超えた瞬間が、何よりも嬉しかった。


沢山の「何より」を感じました。






あなたの何かに対する姿勢は、何よりも、美しい。

とても勉強になりました。

あなたの記事を心から楽しみにしています。



PS.

幸星コースター、にぎにぎリンゴ、ワンコイン・ワンボトルへのご支援、本当に有難う御座いました。応援して下さった想い、大切に被災地へと届けさせて頂きますね。








呉服屋が出来る被災地支援

























会期を一日伸ばす事を決定致しました。

3月16日(月)迄


「呉服屋が出来る被災地支援」


是非のご来場、お待ちしております。








2015年3月6日金曜日

宝石に魅せられて



いつか感じた違和感は間違いではありませんでした。


自分が経験してきた常識が脆くも崩れ落ちる。

そんな事を感じた時がありました。


「器用」


ずいぶん昔から、僕もこの言葉を大人と呼ばれる世界の住人達に発せられ続けたのを覚えています。

大人、同年代から浴びせられる言葉を理解できない。


「これが?なぜ?」


だが決して、悪い気分ではない。

今で思えばセンスであり、親が与えてくれた術でもある。

そして、その先の世界を知らなかったとも言える。

脳が描く世界を伝達し、指先が自由に動く。あなたが描く世界を表現できる。

大人になったからこそ、伝えてあげたい世界。


「これだけでね、本当に素晴らしい事なんだよ。」


と、伝えたい。


褒めているつもりは僕にはない。

自然と、ごく自然と発する言葉。

気持ち。

気持ちだけは篭っている。

その刹那。

何とも言えない、子供達が何物にも代え難い表情に変化する。

これが僕にはたまらない。

とても得意気で、かつ、自信に溢れている。

その言葉が栄養。その蓄えを存分に吸収して欲しい。

僕の教室が存在する由縁。


駄目な事はダメと言えばいい、危険な行為はキケンと伝えればいい。

子供達は実にそれを理解している。


この刃がこれだけ切れるなら、我が身を。

血で理解できるなら、僕の身を切って、いつでも僕の血で教えてあげる。


僕の生徒はみんな可愛い。

この子達が傷つくなら、いつでも僕が身代わりになります。

そんな覚悟の上。


いつだって可愛く、いつだって成長を見せてくれる。そんな僕の教え子たち。


あくまでも外の世界の教育ではなく、僕の教室の中だけの話ではありますが。


怖がらせる妙味。


嫌な言葉を聞かされながら、一度痛い目を感じて覚えるのか、大人が持つ魔法の言葉でそれを防ぐ努力をするのか。

僕は言うに及ばず後者を選びます。

その先に「叱る」と言う行為があるはずです。


「褒めてあげる魔法」


怖がる事に真摯に向き合う子供だからこそ、「怖がらせる妙味」を利用できないのは、大人の重責である。


冒頭の通り、今日は再認識の日でした。

僕の感覚は間違っていなかった。

昔からこの子たちを知り、センスを知り、その才能を伸ばしてみたくなる。

やはり「器用」の塊でした。


真の、僕のセンスとは。


染料、画材の需要が失われている昨今、見直すべき点は自分自身ではありませんか?

嘆くなら供給を増やす努力をすれば良い。







未来にはこんなに輝く原石があるのだから。

僕はこの子達を宝石に変えてみせます。





〜宝石に魅せられて〜了〜








2015年3月5日木曜日

あだち茶道教室



 〜 裏千家 松本宗忠 指導 〜




毎稽古、先生は自宅の庭で咲く花々を活けて下さる。

その日の朝に露を纏い、摘まれた生命体。その空間は瑞々しく、野生の香りがある。

僕の目には繊細で、とても緻密な創造体。

ふっと触れると脆くも崩れ落ちそうに、吐息でさえも何かを消し去るように感じる。

シャッターを切る音でさえ、近付く波動でさえ、その花粉がほろりとこぼれ落ちそうだ。

写真は先週のお稽古の時に撮影させて頂いた「紺侘助」(こんわびすけ)。

恥ずかしながら僕は初見であり、こんなに美しい色がある事を初めて知る。


深い深い紅。鮮明な黄。葉脈がはち切れんばかりの緑。

その生命の配色は溜息が出るほど美しい。


自然の中の生命体に、人のセンスが宿る。

咲ききる前に活けるのは先生の思惑であろう。

本当に美しい。


春を楽しみ、夏を感じ、秋を得て冬に至る。

春夏秋冬


移り行く季節の中で変わらぬ人の思惑。

お抹茶の味。

いつだってそう、自然に合わせるのが人の摂理である。

時として人はそれを忘れてしまうから循環が悪くなる。出来なくなる。

大きな、とても大きな潮流に乗っている、あくまでもその一部分にすぎない。


季節を感じ、自然を重んじる空間。茶道。

素敵な先生が指導して下さいます。

是非ともそんな空間を味わいにお越し下さいませ。