2015年4月25日土曜日

小千谷ちぢみ



平成二十七年

〜 きもの処あだち 新作小千谷ちぢみ 〜












着物ファンにとってこれほど頼りになる天然素材も稀であろう。

日本の四季、夏を担う麻織物。

言い換えれば、その季節でしか味わえぬ質感であり、存在とも言える。

透け感はあるが、麻繊維独特の強さがあり、それを利用して見事にシボとして織り成されている。

ゴワつき感があるかと思えば、それが実に肌との距離を的確に保ち、涼やかな風が身体を通り抜けて行く。

僕は小千谷の着物には長襦袢も麻と決めている。

独特のシャリッとした質感をより肌に感じる。

連投ならば、自分の感性では涼やかと言われる絞りの浴衣より麻である。

長襦袢一枚分を感じさせないのは元より、何よりも驚きの速乾性。

以前にしっかりと経験している。


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自身のお披露目展に向けて。

約一ヶ月ほど掛けて、朝から晩までお客様宅へ挨拶回りに行かせて頂いた。

車移動。

強い陽射しが降り注ぐ、真夏の暑い、暑い日が続いていた。

呉服屋に入って半年ほどしか経っていない最中、言うに及ばず着物歴は短い。

初めて着物で過ごす夏でもあった。

慣れぬ着姿でもあり、帰宅すれば毎日汗だく。

それこそ、着物の一部分を握れば汗が滴り落ちるほどであった。

汗を拭う手拭いは毎日三〜四枚は消耗した。

自分はそれ程汗かきなタイプではなく、今で思えば緊張もあったのであろう。


また明日も。また明後日も。


その日の晩に僕の小千谷を洗濯し、干してくれている妻がいた。

着物歴が短いと言う事は、手駒が少ない事を意味する。

涼しい事以外にも、乾きやすいと言う麻織物の恩恵がある事をこの時初めて知る。

いや、厳密には知識の中にはあった。

しかし実際には驚愕の速乾性。これ程までとは思いもよらなかった。

やはり経験。半年間で詰め込んだ、「染め」「織り」「産地」「素材」の全てが無意味にさえ思えた。

早く着物の知識を身に付けて、商いの三代目として先頭に立ちたいと言う思い。

それは、うぬぼれでした。

生き急いではいけない。ゆっくり、じっくり。分からない事は分かる時まで待てばいい。本物になりたい以上、嘘で固める自分はいらない。

無理やり詰め込んだ知識より、何より経験が大切であり、この後に染め修行へ行く決心に繋がった。


「百聞は一見に如かず、されど百見は一行にしかず」


この時より僕が想う言葉となりました。


また明日も。また明後日も。


約一ヶ月間、暑い、暑い夏の陽射しに答える身体。頑張って頑張って放熱する。

それを惜しみもなく吸い取り、次の日にはまた同じ表情で自分の着物が迎えてくれる。

今日もくたびれる事なくシボが立っている。


「よし!今日も行くんだ!」


古より伝わる先人の知恵が、僕の身体を守ってくれたんだ。

実に、一枚の小千谷で過ごした、暑い暑い夏の日々でした。



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一枚目の藍色は、僕が一目惚れで仕入れた小千谷ちぢみ。

春の新緑に映える朱と共に、夏の陽射しを受ける藍色はまた格別だ。

この濃度が、涼やかに、優しい風の印象を与えてくれる。


琉球の帯を合わせ、足袋と半衿は飾らず麻に。

帯締め・帯揚げには緑と黄を。帯留めに少し濁ったガラス玉かゴツっとした陶器。


これで僕の大好きな民芸調の出来上がりである。

そんな着姿を想像するだけで、惚れ惚れしてしまう。


付け加えるなら、扇子はより濃度の低い藍色を。扇ぐ時に袖口からちらりと見える長襦袢は、スカッと白がよろしいかと。

見え隠れする白がより藍の濃淡を際立たせる。

そんな演出が美しくないはずが無い。



*ちなみにお嬢コーデはこの様になっております→きもの処あだちHP



さて、今年も暑い夏がやって来る。

毎年訪れてくれる自然の循環。地球の呼吸、日本の四季。

着物ファンには欠かせない小千谷のシーズンが始まります。

僕も、大切にしまってある相棒を箪笥の中から引っ張り出すと致しましょう。





江戸時代初期、播州明石から来たといわれている堀次郎将俊が、それまでの越後麻布に改良を加えて完成したのが小千谷縮です。しぼのある独特の風合いで高い評価を得、昭和30年(西暦1955年)、国の重要無形文化財に指定されています。

その技法を生かして織り始めたという小千谷紬も、昭和50年(西暦1975年)に伝統的工芸品に指定されています。


小千谷縮の材料は苧麻(ちょま)という上質の麻です。これを細かく砕いてつなぎ合わせ、一本の長い糸を作ります。準備された経糸(たていと)に、模様付けされた緯糸(よこいと)一本一本柄を合わせながら丹念に織ります。一尺織るのに900回も手を動かすといいます。



織り上げられた反物は、地を白くするために雪の上でさらされ、完成します。この雪さらしは、小千谷に春を呼ぶ風物詩です。


*小千谷市HPより抜粋








2015年4月13日月曜日

藤の精






































平成二十七年四月十二日

第十回 日本舞踊 音羽流「菊初会舞踊公演」


音羽菊初麗 演目「藤娘」



無事に終えた事をここに記します。

応援に駆け付けて下さった皆様方、心より有難う御座いました。

日々の鍛錬の成果を多くの方に見て頂けたと、本人も喜んでおります。

彼女を見守って下さった事に感謝致します。



〜了〜








2015年4月11日土曜日

百合の舞
















いよいよ明日があだちの看板娘、ユリ香の日本舞踊の舞台となります。

本衣装での舞台は結婚後初であり、およそ六年振り。

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僕の父が存命の時に舞台後に撮った写真を懐かしく眺めています。

自分の娘の事の様に喜ぶ父の姿が目に焼きつき、その時の嬉しそうな表情は今でも鮮明に覚えている。

早く結婚して本当の娘にしてあげるべきだったと、他界した時に自分の出来の悪さを相当後悔したのも覚えている。

横道にそれ過ぎなお話ですね。

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家族にとっては色んな意味での決心がいり、しかしそれを除けば誰しもが経験出来ない時を味わえるのであろう。

それを五歳の時から幾度となく乗り越えて来たのが、彼女の強みであり、魅力なのだと思う。

心の底から存分に楽しんで欲しい。



「藤娘」

〜松の木に恋をした藤の精が、意のままにならない男心を切々と嘆き、踊ります〜



百合の名を冠する者が藤の精を表現する。

それだけで僕的にはどこか笑みをこぼす点なのですが、お稽古風景を聞くばかりでは艶やかに、色っぽさが最重視されるとの事。

またそこに初めての見所があり、面白いではありませんか。

同姓になりて。

人生の大きな階段を一つ上った百合が表現する艶やかな世界。

スポットライトを浴びる姿。

彼女の舞いが今から楽しみであります。


写真の父も楽しみだと笑っている。

あなたの娘が心の底から楽しめるよう、見守ってやって下さい。





「追記」

どなた様でも入場無料となっております。どうぞ応援に足をお運び下さいませ。

*場所等の詳細はこちら









2015年4月5日日曜日

華展




〜華道東洋未生流 創流四十五周年記念 華展〜







































平成二十七年四月四日


〜了〜









2015年4月3日金曜日

ゴミの出し方〜釣り針〜




突然ですが、釣り人の皆様方はどの様に釣り針の最後を見送っていらっしゃいますか?

要するに針のゴミの出し方です。



参考記事はこちら




僕自身は昔、市へ問い合わせた事があり、空きカンに溜めておいて不燃焼ゴミで出すようにしています。




(注)飲料用の空きカン資源ゴミです。油・菓子・粉ミルク・缶詰の空きカンを使用して下さい。



今現在の釣行回数ではそうそう溜まるものではありませんが、それでもちょっとした針先の変化で新品に交換してしまう類の人間なので、年間を通しては結構な量になります。

改めて自分の市のホームページで確認したところ、この出し方で問題は無い様です。


ちなみに、






鼻緒のすげ替えや草履のカカト替えで出る金属類や、家具の解体作業の時に出る釘やビスなんかも一緒に溜めています。

ちょっとした気の緩みで誰かを傷付けるなら、ちょっとした気の張り方でそれを防ぐ事が出来ます。


一釣り人としての考え方。


ここら辺が水辺のマナーにも繋がっているのは、意外な盲点かもしれません。


偉そうな事を言うつもりはなく、言える立場でもありませんが、、


未来の釣り人に影響力のある方々が製品プロモーションだけでは無く、こう言った事もアピールして伝えていって欲しいものですね。








2015年4月2日木曜日

京の町屋




紅・藍・黄・緑・紫・茶、、、そして墨。


全ての色が弾み、瑞々しく見えるのは、日本の四季の恩恵だろう。

人の目による違いはある。

だけど、僕の目にはそう映り、少なからずそれを自分の美へと吸収する事への恥じらいは全く無い。

いわば「春」。

感じずに、目をやらずに過ごすには勿体無さすぎる。

日本に生まれた以上、紅の鮮やかさを愛で、黄の優しさに微笑み、緑の深さに自然の偉大さを感じる。

こんな事を述べているが、いつから自分がそうなったのかは知らない。

きっと、呉服屋に入ってから自然と覚えた感性なのだろう。

でも、今は素晴らしいモノを身に付けたと思っている。


しんどく、しんどい、、助けたく、助けたい、、長く、長い、、しんどい事もある。


だけど、今はこの感性を育ててくれた「何か」に感謝するべき時だと思う。


ずっとずっと、「色」が美しいと思える自分でありたい。

そうでありたい。

そんな感性でありたい。

誰かに育てらたアングルでは無く、自分だけのアングルで撮りました。


今の僕の実力です。


ただ、率直に、僕を支えてくれた人、応援してくれている人、家族には是非見て欲しい。


気持ちを、少しでも美しい写真でお返ししたいと思う。







































そんな気持ちで撮っています。


その空間を機械で切り取れる以上、自分の行いなんて本当にちっぽけだ。


嫌にもなってくる。


想像だにしない表現を、より一層自分のモノとして引き出してくれる。

でも、機械の性能以上に、自分の可能性をいつかは見出したい。


いつかは…





「確かな事を語れる脳を自分の知識に」


今日は良きセミナーに、良き人たちに出会えました。

それは不確かな事では無く、確固たる知識の中で語られる言葉でした。

重みがありました。

日常に感じる自分の知識の無さ=経験。


写真を撮る中での違和感とは別の、呉服業を営む中での「自信」に繋がるヒントを得た気がします。

有難う御座いました。





平成二十七年四月二日


〜 撮影・京都町屋にて 〜