2015年5月31日日曜日

初夏の風物詩




毎年、商店街に訪れてくれる初夏の風物詩。

ツバメ。

あだちの斜め前にある美容室には、例にもれず、今年もツバメが巣を作っている。

ツバメが巣を作る商店の店主は、糞の対策のためにダンボールを敷き、外敵からツバメの子を守れるように独自の工夫をしている。

手間は掛かるがそれでも、毎年帰って来てくれる事が何よりだと各商店の店主たちは語る。

一番の外敵はカラスである。

やはり厳しい自然界。

生まれた全ての子供たちが無事に巣立つ事は非常に稀である。

それでも日に日に成長していく子供達。

ここ最近では、車の通らない時間帯や人通りの少ない時間帯を見計らって、商店街の通りで飛ぶ練習をしている。

六月を迎えれば、いつ旅立ってもおかしくはない。















今年がその稀な年である事を嬉しく思います。



平成二十七年五月三十一日 撮影








2015年5月30日土曜日

Saku季節




〜蕾から花へ〜


芍薬、美しく咲いてくれました。






平成二十七年五月三十日 撮影








2015年5月25日月曜日

Pink







ナデシコ






ゴテチャ


〜平成二十七年五月二十二日撮影〜








2015年5月23日土曜日

柿渋染め






















一枚目の型紙で糊を置き、柿渋で引き染め。

柿渋を枯らし、再び二枚目の型紙で糊を置く。

濃度調整した柿渋で二度目の引き染め。

乾燥。

最後に濃度の強い柿渋で数カ所にボカシを入れて完成。


これにより、地色(一度目の糊部分)、一度目の柿渋色(二度目の糊部分)、二度目の柿渋色(一、二度目の糊部分外)、ボカシ部分の柿渋濃淡四色が表現出来ます。


波紋+芭蕉柄。


とても美しい濃淡で仕上がりました。



〜平成二十七年五月二十二日〜





*当教室使用の柿渋はこちら









2015年5月20日水曜日

Sleeping Forest























平成二十七年五月十九日

〜きもの処あだち with 眠れる森〜


カラオケ大会にて。








2015年5月16日土曜日

芍薬〜シャクヤク〜




〜立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花〜





平成二十七年五月七日 撮影









2015年5月13日水曜日

河井寛次郎記念館




河井寛次郎は、その生涯を通じいつも子供のように感動する心を失わず、ありとあらゆる物と事の中から喜びを見いだし、そして何よりも人と人生をこよなく愛し大切にした人でありました。

寛次郎は「驚いている自分に驚いている自分」と語っております。

私達は誰でも美しいもの、素晴らしいものにめぐりあえたとき感動し、心豊かになるものですが、翻って(ひるがえって)そんな感動、そんな思いが出来る素晴らしい自分自身には案外気が付かないものです。

寛次郎は、ともすれば私達が忘れがちなそうしたごく身近な心や、形を大切にしました。

ここでご覧頂くものの中には、作陶を初めとした木彫・文章を通じてはげしい表現をしたものが数多くありますが、反面、建築・調度品・蒐集品の中には日々の生活に素を尊んだ寛次郎のしずかな精神を見ることが出来ます。

この記念館は、そんな寛次郎であったことを皆さんに知っていただくとともに、ここが作品を創作した場所であるだけでなく、高く、深く人間を讃えつつ生活をした場であることを観ていただくために開館いたしたのでございます。

私どもにとっては、皆さんにこの記念館をご覧いただいた後、何かの美、何かの感動、何かの驚き、何かのやすらぎを覚えて下されば無上の喜びでございます。


〜河井寛次郎記念館・冊子より引用〜




平成二十七年五月十日撮影


五年ほど前に、著書「火の誓い」を読みし頃より憧れの存在となっておりました。

人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、一陶人として貫いた生涯。

激しい、激しい時代の流れとはこの様な人を育てるのだろうか。

いつかは触れてみたいその部分。いつかは感じてみたいその空気。

そんな願いが叶いました。


〜〜〜〜〜


その後に出席する記念パーティーまでの時間を逆算し、およそ二時間の余裕をみて大阪を出発。

訪れた先はタイトル通りの河井寛次郎記念館。

京都の大通りから少し狭い道を行く先にその記念館はあった。

事前に調べた情報では、素焼窯や登り窯も残されており、広大なイメージだった。

しかし想像とは異なる。そう。ここはいわゆる住宅街である。

本当にこの場で窯を見れるのかという不安と、ようやく、、、という心のときめきが入り混じる。

しかしそんな心の動きは瞬時に消え去った。


出迎えてくれたのは記念館の大看板。

これも事前情報で知っていた。

憧れの両人(黒田辰秋作・棟方志功筆)が手掛けた作品を前に、しばしその場で時間が過ぎ去る。

玄関を越え、受付に向かう間も素晴らしい内装が目を、心を癒してくれる。

ある空間に入る前に、これほど心がときめく瞬間もそうはない。

それはまるで、子供の頃に感じた遊園地への一歩だ。

そしてここで驚愕の事実を耳にする。

なんとこの記念館は、申し出・身元を明かす事を条件に、撮影が許されるのだそうだ。

その後のパーティー、記念館の全容だけでもと思っていたので、一眼レフはばっちりカバンの中に潜めてある。

館内にはデジタルカメラ、一眼レフ、スマホを片手にお客様がパシャり・パシャりとやっている。

言わずもがな、僕も瞬時にその一人となった。


無我夢中。


お嬢など、居ないが如く、着物など、着ていないが如く。

素晴らしい空気を一眼レフで切り取っていく。

背を伸ばし、膝をつき、かがみ、手を伸ばし。

それと同時に、自らの脳にもしっかりとその場の印象を焼き付けていく。


本当に心に栄養が宿って来る。

凄い。と言う言葉が何度も胸を叩く。


気がつけば予定の二時間など早々と過ぎ去り、撮影枚数もゆうに二百枚は超えている。


いけない。いけない。

次に向かわねば。


館内の来た道を引き返す。

これがまた、違ったアングルに見えてきて指先が止まらない。それに伴って、行く足は止まる。


いけない。いけない。

次に向かわねば。


館内を出て、もう一度大看板に目をやる。


「凄い」


何故か大看板に向かっておじぎをしている僕がいた。


〜〜〜〜〜


パーティーも終わり、帰路へ。

帰って来てから酒の満たされた脳で、今日の収穫に一人にんまり。

ブログを書くには当然、写真は充実している。

氏の作品もほぼ全てを撮れた。

後は文章をどう組み込むか、だろうか。

翌朝にでもじっくり考えよう。


〜〜〜〜〜


しかし、眠りにつく時に、ふと、こんな事が頭をよぎる。


「自分の満足の為にこんな偉大な作品を軽々と載せて良いのか」

「いくら撮影可とはいえ、氏と国の財産である作品を掲載する価値がこのブログにあるのか」


僕の答えは否でした。

約二百枚あるうちの一枚だけを掲載させて頂きました。

そして、いっぱい悩んでいっぱい考えた結果、風景に写り込んでいる作品以外、つまりは作品を主体に写したデータは一枚を除き全て消去しました。

*その一枚はデザイン参考の為。恐れ多くもそのデザインを元に何かを作ってみたい。


次もその作品たちに出会える時があるならば、その時もまた新鮮な「凄い」を胸に叩きつけて欲しい。

せっかく撮った可愛い我が子だけど、そんな想いでもあります。

切り取った空気ではなく、本物の空気をやはり吸いたい。


次の目標は、母と姉にこの空気を吸わせてあげる事。


それまではこの日の写真は封印と致しましょう。


写真に関しては選びに選んだ訳でもなく、直感的に僕の一番のお気に入り。



五月の陽射しを受け、愛された民藝が黄金色に輝いてました。

本当に美しい。













2015年5月6日水曜日

休日の昼下がり




僕の好きなアングルを意識して撮影したとは彼女の意。

染めの作業をしている間も、「見て!良いのが撮れた!」とちょっかいを出して来る。

何を思い立ったのか、一眼レフを手にしているではないか。


正絹の紬地八寸帯。

そうそう僕が染めれる品でもなく、言うなれば真剣勝負なのである。


しかし手を止め、写真を見てみると、これが中々良いではないか。


うむむ。

僕の好きなアングルである。


何度も何度も同じ言葉を発するので、はっきり言って作業の邪魔である。

次第に邪険に扱うが、いやいやこれは少し浅はかで、さらには具合が悪い。

何故ならば、彼女がこれを機にカメラの魅力を見出すのなら、これほど愉快な事はない。

その都度手を止め、「良いね!良いね!」とは僕の弁。

これはお世辞ではなく、少々悔しいが率直な意見であった。

ピントのボケた写真もあるが、それはその瞬間をとらえようとした焦りであり、努力でもある。

何よりその一枚でも多い撮影枚数が嬉しくもある。

トリミングせずとも被写体が中央にあり、その時は水平を保っている。

被写体を画面の端に撮る時は微妙に傾かせている。

僕が毎回意識する撮り方である=僕のアングル。

要は主役を輝かせ、写り込む線は歪もうがどうでも良いのである。

トリミングせず、角度調整をせずと言う点では僕よりずっと達者ではないか。





「カメラは愛情ね♪」





たわけか。

んなもん、こちとら、とうの昔にその心で貴方を撮影してますよ。

















平成二十七年五月五日・こどもの日

*撮影・お嬢








2015年5月4日月曜日

絣〜kasuri〜



経糸(たて)と緯糸(よこ)で織り成す世界。


〜絣(かすり)〜


絣の技術はインドで生まれたとされ、タイやカンボジア、インドネシア、ベトナムなどの東南アジアを経て、日本には琉球経由で伝わったとされている。

その技法は糸を染め分ける作業から始まる。

経、緯、あるいは両方、染めない部分(柄)を何らかの方法で防染し糸を染色する。


〜〜〜〜〜


「手括り」

水に浸したアラソウ(麻を蒸して剥ぎ取った表皮)で硬く括(くく)ります。
乾燥したアラソウは縮み、糸をさらに締め付けます。

「機械括り」

機械を左右に回転させながら動力で糸を括っていきます。

「織締」

柄の細かい絣糸を作る際には括りではなく、織締という方法を用います。これは糸を機にかけ、製織の時のように糸を織り込み防染します。括りの場合は柄と柄の間隔が近すぎると括りが弱くなり、染料が染み込むため細かい柄を作る事が出来ません。織締はおよそ1ミリの柄を作る事が出来ます。

(補足…大島紬の細かい柄を想像してみて下さい。それらが織締の代表作です。織締とは一度織った糸を染色後に解体し、もう一度織る事を意味します。)


*参考文献・久留米絣 &Wikipedia


〜〜〜〜〜


経糸と緯糸が交差し、浮かび上がる文様の美。

白に抜かれた図案が美しいかと思えば、それは地の色が映えさせている事に気が付く。

ふと、それから目を外すと、脳裏に焼き付く白の印象。

やがて優しく、ふわっと消えてゆく。

それは染めの味ではなく、絣の味。

決して華やかに主張するのではなく、「どうぞ。どうぞ。」と遠慮気味に語りかけてくる。

それはもしかして、「もったいない。もったいない。」と言うおばあちゃんの姿と重なっているのかもしれない。

そんな優しさが絣にはある。

そしてそれが、民の本来の着物の姿かもしれない。


表裏一体(海外にはそうでない絣も存在します)であり、緻密で繊細な日本人らしい発達を遂げました。

図案、絣の設計から染色〜織りへ。

その工程を想像すると見えてくる作者の努力、労力。

その汗の結晶が技術へと昇華しました。

それは、それこそは間違いなく世界に誇れる日本の絣の技術です。



〜 kasuri  japan 〜



先人たちへの敬意、日本の誇りを持って、今日もこの子達を愛でています。




「作州絣(さくしゅう)」岡山県




「備後絣(びんご)」広島県




「石ずり絣」群馬県



絣の美しい息遣いが僕には聞こえる。



*日本三大絣…伊予絣・久留米絣・備後絣