2014年12月26日金曜日

母と姉へ



母と姉が知的障害者の地域移行を目指して早5年目になるだろうか。

こんなに素敵なXmas会が今年開催できるとは思いもよらなかった。

少なくとも2年前までは。

日中の無認可作業所から開所し、同時にグループホームも立ち上げた。

利用者さん一名からのスタート。小さな美容室後の店舗を、不動産屋さん、地域の住民の皆様の了承を得てお借りした。

国から定められた人数に達しない少人数の無認可作業所では認可がおりず、当然、補助金もなく、家賃、光熱費等は母と姉、そして家族と呼べるスタッフの内職でまかなっていた。

朝から夕方まで利用者さんと一緒に内職をし、そのまま泊まりで一夜を過ごす。

そしてまた一緒に内職をする。

資金を養うために姉は泊まりでない日はパートに出た。

呉服屋を終えれば僕もそのローテーションに入り、なんとか持ちこたえた。

どこに向かえばいいのかも分からず、ただ走りきる、明かりの見えない暗いトンネルのようだった。

普通に考えれば、いくら好きな事でも体、特に脳に歪みがくるはずだ。



「なんでやってるんだろう?なぜ?どうして?」



自問自答の繰り返しである。自身の生活の困窮の原因が、仕事であっていいはずがない。

しかし、仕事と捉えるのか、やりがいと捉えるのか、使命だと捉えるのかは自分次第である。

少なくとも僕は、世間で言われる「立派なお仕事ですね的思考」に対する母と姉の返答で、胸を張っている姿を未だ見た事がない。

そこに心の豊かさをみつける。そこに希望が見出せる。情熱がみつかる。

こんな二人を見ていると、困っている人がいたら自然に手を差し伸べ、誰かが悩んでいたらそっと耳を傾ける人でありたいと思う。

そんな背中でずっといてほしい。

有難い事に、同志、仲間、家族と呼べる方々も増えた。まさに類は友を呼ぶ。

ならば、やはり母と姉には愛情と呼べる仕事を全うして欲しいと願うばかりである。

地域に出た以上、関わる地域住民の方々、その背中を見て、触れ、感化される人が一人でもいればその想いは利用者さんへ、つまりは自分たちのやるべき本望なのであろう。

行き詰まり、その人を想い、考え、悩んだ挙句に行き着く先は、やはりいつも神様である。生まれながらに、先天性とは。その理由に行き着くのが悔しい。

いつも道を外しそうになる僕に手を差し伸べたのも母だ。道を外した時に手を引っ張り、戻してくれたのも母だ。



「悔しい。本当に悔しい。」



そう言いながらも、また、姉や仲間とその人の支援に悩みだす母の姿は僕の時と一緒なのであろう。

ならば大丈夫。その先にはきっとまた、笑顔のその人がいるであろう。



「工房おりがみ〜2014Xmas会〜」




















一日遅れで文章を贈ります。

母と姉へ。


~  Merry  Christmas  ~





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