全国的にみてもレアな子供の染め教室が本日より始動致しました。
絵を描く。そのために鉛筆を持つ。間違いがあればケシゴムで消す。そしてまた鉛筆を持って描き出す。
当たり前の動作ではありますが、足しては引いてを自らが行う。
大人のそれとなんら遜色なく。
描きたされる世界。
僕は子供たちのその動作が何より好きだ。
一所懸命に自らの脳に問う。
僕も含めた大人のそれの、上手く描こうという邪念より、夢中という無邪気の方が大きいようだ。
理解し難いかもしれないが、その刹那、子供たちは瞳から明らかに何かを発している。
その動作。その時の真剣な瞳にはどんな宝石だって敵わないと思っている。
キラキラの瞬間。
そして、心から出てくる世界はいつもコロコロ変化していく。
それがまた、素敵である。
上手い下手など蚊帳の外で、出来上がった世界を惜しげもなく披露してくれる。
たまらず口と目元が緩む。
見せてくれる世界のなんと素晴らしい事か。
夢中でその世界を語り、そしてそれを必死で理解しようと聞く僕がいる。
それほど楽しい。
何度だって思う。この世界の住人は大人だけじゃない。
型絵染めの基本は絵である。先ずは絵を描く。
それを自分らしく咀嚼して昇華させる。
つまりは図案である。
偉そうにも述べれば、その後の行程は作業であり、仕事である。
仕事とは積み重ねれば、いや、語弊があると先に述べておこう。
その上で、仕事とは積み重ねれば誰でも容易に出来るに等しい。
職人と呼ばれる多くの方は、まさに日々の積み重ねの賜物。
それ以外の何物でもない。
他人には容易く見える仕事風景。しかし実際にはそうではない。だから職人なのである。
しかし、絵、図案はどうだろう。
積み重ねて絵を上手く描く事は出来るだろう。しかし、染物=図案化になるとどうだろうか。
言うに及ばず、自分の勘、経験、センスがモノを言う。
配色も然り。
つまりは子供たちの自由な発想の得意分野なのである。
子供たちの描きたされる世界に、たまたま自分が持ち合わせていた技法を混ぜてみたい。
「どんな世界が描かれるんだろう」
その一点から始めた事を今一度、自分自身に確認する。
毎回の教室がキラキラに満ち溢れたピースである。
そんなワンピースを、もっと集めてみたい。
教員免許など勿論なく、その道を目指した事もない。
成長過程の子供が生徒なので、悩む事も多く、どう叱ってあげれば良いのかさえ分からない時もある。
何処までさせてあげれば、何処まで手助けしてあげれば、こんな事は何百回と考えた。
月謝もなるべくご家庭に負担が掛からないように取り組むのが信念であり、目的は子供たちに経験させることであり、維持が出来ればこれが最終的な目標になる。
染物には伝統文化があり、日本独自の技法もある。
育てるべき逸材の発掘が然るべき状態にも関わらず、子供の染め教室が全国的に普及しない理由も分からずもない。
しかし、だがしかし、自分の信じる染物の力。
物を創り出すコトが大好きな子供たちに、自・信の力を織り交ぜて、心豊かな物作りを経験して欲しい。
ただ、単純にそう思える子供型絵染教室が今年もスタート致しました。
僕は、今年も最高のキラキラを創り出します。
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