「蛙の子は蛙」…子は親に似るもので、凡人の子はやはり凡人であることのたとえ。
少々、ニュアンスが違う。
では、「呉服屋の娘は呉服屋」ではどうだろうか。
照らし合わせたかのようなコーディネートを度々見かける。
お嬢ブログ(リンクあり)
よほどお気に入りなのだろう。自らコーディネート写真を撮ってくれと言ってくるのも珍しいのだが、この子を着るたびに「見て見てオーラ」を自慢げに発してくる。
僕自身、何度もこの着姿は見てきている。
彼女のブログにもある通り、20代前半の誂えといえば、年間を通して300日以上着物で過ごす彼女にとってはもうすでに着倒したはずだ。
しかしまだまだ色褪せないらしい。
帯をチェンジすることによってインパクトを変えられる、着姿の好例とも言えるであろう。
彼女いわく、現代では「着物一枚、帯30本」なのだそうだ。
帯を30本持ちなさい。ではなく、着物とはそれだけのキャパシティーがあり、柔軟に対応してくれるとの意だそうな。
まさしくうまい言葉を作ったもんである。本来の言葉は「着物一枚、帯3本」である。
さらっと数字を10倍にするあたりに、大蛇の牙が見え隠れしているようにも思える。
そういえば、母親である女将もときおりさらっと恐ろしいことを述べる。
女将の場合は必ず笑顔で発言をするので、なお恐ろしい。
「あら?本当に赤字ね。明日からどうしようかしら?うふふ♡」
「あら?どっちかで迷っているなら二枚とも買っちゃえばいいのよ。うふふ♡」
「あら?小物を見にきて下さったの?じゃあこの帯はいかが?うふふ♡」
「あら?旦那様がお家で待ってるの?じゃあ今日は出前ね。うふふ♡」
…etc
あぁ、恐ろしい。
笑顔の裏には間違いなく、大蛇のソレが見えている。
小顔で背丈も小さい、しかし幾分、男勝りな一面もあり、習い事で琵琶をやっているのだが、どこからあの勇ましい声が出てきているのか、いつも疑問に思う。
上記の通りのギャップが女将の魅力。それほど可愛らしい、小さな、大きな女将です。
照らし合わせたかのようなコーディネートを度々見かける。
皆様の目には二人のコーデが全く違うモノに見えるかもしれません。しかし大きな共通点が存在しています。
それは、帯。
手持ちの何十種類もある帯の中で、実は同じ作家が手がけた作品を、これまた同じ日に選んでいたのです。
もちろん、口裏などは合わせずに。
僕の目からしたらこれは相当な確率であり、このようなことが度々起こるのです。
ほにゃらら染めの着物を女将が着ていたら、娘も同じ技法の染めを。
ほにゃらら織りの帯を女将が締めていたら、娘も同じ技法の織りを。
ほにゃらら先生の帯締めを女将がしていたら、娘も同じほにゃららな帯締めを。
女将「あら?今日もまたカブったわね。うふふ♡」
娘「ホンマやね〜。なんでやろね〜。」
…突っ込みたいのはこちらである。
こんな二人のやりとりを見ていると、「呉服屋の娘は呉服屋」としか言わざるを得ない。
この部分だけを取り上げると僕は蚊帳の外であり、はたから見ていると家族経営の呉服屋とは実に面白い。
お嬢が年を重ねていくごとに、魅力たっぷりの女将に近づく様が、今から非常に楽しみである。
「下平清人作・沖縄屋根文様」
「下平清人作・さるかに合戦」
親と子が、自ら大好きな作家の帯を締め、お互いを見て笑いあう。これほど平凡でくだらない笑顔もないだろう。しかしそれが何よりも大切で、何よりの幸せだ。
創業祭での一日がこんな日であったことに感謝します。
追記…きもの処あだち67周年創業祭、無事に閉幕いたしました。今回も大多数のお客様のご来店、誠に有難うございました。報恩感謝をテーマに進め、女将の赤字発言はもとより、多くのお客様に良い作品たちを御礼価格にてお届けできたと自負しております。しかし、決して安売りではなく、あだちが抱える本当に可愛い作品たちを、本当に大切な作品たちを提供しました。その作品たちの裏には、決して安売りなどできない職人たちの汗が眠っております。買っていただいてなお、厚かましいかもしれませんが、大事に大事に愛でてやって下さいませ。明日からがまた、来年への報恩感謝への一歩。社長、女将、お嬢、そして僕。こんな家族の呉服屋ですが、どうぞ変わらぬ熱い温情を宜しくお願い致します。
きもの処 あだち一同
67周年創業祭での一日〜親と子〜了
お疲れちゃん( ´艸`)
返信削除ちゃんす♡
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