〜カンボジア伝統絹絵絣「ピダン」〜
ピダンはカンボジア社会に深く浸透した信仰と宗教的実践に基ずいた織物です。
カンボジアは人口の9割が上座仏教(テラヴァ仏教)を信仰していますが、宗教的な世界観は世界文化遺産アンコールワットに象徴される様に、かつてのヒンドゥー教の名残や土着の神々などが様々に融合し、人々の日常生活に混在しています。
この絹絵絣がピダンと呼ばれるのは、お寺の天井に飾られ、カンボジア語で天井をピダンと呼ぶことに由来します。
内戦前、人々はお寺にピダンを奉納し、お盆、結婚式、葬式などの仏教儀式の時に飾りました。
お寺では本堂の内陣を囲むようにさげる、あるいは正面の天井に吊るす、または仏像の背後に吊るしたりして使われます。
ピダンは心をこめて制作し、仏に奉納する気持ちからつくられました。
ピダンが仏像を守る「覆い」となるのと同様に仏が自分を守り、無病息災、平穏無事に生きることができるよう仏が助けてくれることを願いつくられたものです。
〜ピダンの歴史〜
古代(6〜14世紀)にピダンが使われたことを裏付ける証拠はわずかながらも存在します。
プレア・ヴィヒア遺跡を始めとするいくつかの遺跡や碑文や遺物にわずかな証拠が残っているのである。
中世(15〜19世紀後半)の碑文には、奉納するピダンの制作について数多くの記述がある。
アンコールワット碑文では「ピダンを裁つ」という言葉が使われているので、これらのピダンは布のピダンではあるが、絹か普通の布か明確ではない。
今日使われているピダンは絹製もあれば普通の布製もある。
さらに「ホールピダン」と呼ばれるもう一種類の絹布がある。
ホールピダンは仏教で用いる絹織物を指し、信仰や宗教に関する様々な絵柄が取り上げられている。
古代の布製ピダンの多くは、おそらく宗教に関連する絵柄を織り込んだ絹製であり、このことが今日までピダンという言葉が残っている原因となっているのである。
〜ピダン復興への取り組み〜
認定NPO法人「幼い難民を考える会」は、タイにあったカオイダン・カンボジア難民キャンプで、1980年から1992年まで、生活自立のための保育センター「希望の家」を運営、支援し、難民自身が織り機をつくり、織物経験者が指導して1981年より織物教室を始めました。
1992年、難民キャンプが閉鎖されるにあたり、1991年にカンボジア国内で幼い子供の健全な成長と女性の生活向上を目的に保育事業、1993年に織物事業を始めました。
そして現在はタケオ州に開設した織物センターで、地域の女性を対象に草木染めや伝統絹絵絣ピダン研修などの織物技術訓練を実施しています。
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いやはや丹念に作られた生地とは本当に美しい。
お世辞にも日本のそれとは違い、生地端も不揃いで、絣もいくばくかぼやっとしている。
上記の通り、織物訓練の歴史はまだ浅い。それに起因するのであろう。
しかしこちらにはない文様を表現している作品であり、その味も、表情も、いつまでたっても僕の目を飽きさせない。
ぼやっと感がたまらなく斬新であり、潤いを与えてくれる。
色もまた然り。アーモンド、タリマンド、ユーカリ、プロフーの樹皮、紅の樹の実、黒檀の実、カイガラ虫の巣。
日本で行われる草木染め、同じ植物であったとしても、風土が違えば媒染剤も異なるはずだ。
そこにすら想像で旅をしてみるのである。
みんな、実に良い顔色をしているではないか。
*全て九寸帯地
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