2022年7月14日木曜日

十一年の時を経て


R4 7/12-13

下平清人先生の図録撮影のため、
栃木県那須塩原にある先生の工房へお伺いした。

大阪から電車と新幹線を乗り継ぎ五時間半ほど。

修行の時に二度三度、
父親の三回忌等で往復はしているが、
胸の高鳴りをこの日初めて聞いた様に感じる。



およそ十一年の時を経て足を踏み入れました。

生憎の雨模様とはいえ、
7月とは思えない気温と空気感、
そして眼前に広がる緑の開放感に
大阪との距離を感じた。

修行の時はあの部屋で過ごし、
夜風に吹かれながら缶ビールを片手に
タバコに火をつけるのが毎日の楽しみだったなと、
想いにふける。

先生は相変わらず忙しい方で、
そんな想いも刹那、
すぐに仕事に取り掛かる声が響く。

軽く撮影の打合せを終えると、
懐かしくもあの時の厳しい表情がそこにある。






呉(ご)汁、糊、ラッカー、生地、灯油..etc
様々な道具の匂いが混じり合い、
自分を冴えさせる。

生地の上を行き来する刷毛の音が何とも心地良く、
そっと目を閉じた。

僕にとってそれは、どんな音よりも贅沢だ。

最後の引き方で音色が変わるので、
ゆっくりと目を開け、生地の色を見た。
そこには音色通りの色が結果として現れている。

僕も堪らずそのリズムを刻みたくなったが、
今日は撮影班だと自分に言い聞かし、
ぐっと我慢した。

きっと僕が
「やらせて下さい!」
と言えば先生は、クチャッと顔を緩ませ、
「なんだい、君もやりたいのかね。」
と、刷毛を渡して下さったと思う。








十一年前には何も感じなかった物や、色や、音が、
僕の肩を叩き、呼び掛けてくれる。

使い込まれた道具、匂いが染みついた壁、柱、
糊を吸った板場、汗と染料にまみれた足元の土。

その全てが美しく、鼓動している。

右も左も分からないまま修行に出、
染物が好きになり、民藝の心を知り、
そして呉服が大好きになった。

十一年なんて修行の時と比べると
あっという間だった気がする。

それだけ先生に厳しく厳しく育て上げて頂いた。

「帰れ!」
「戻って来るな!」
と何度言われた事か。

それでも毎朝、畑を耕し、季が来れば
一緒に筍を掘った。

その背中と染物をしている背中の矛盾が
先生の人間としての魅力なんだと思う。


一度、先生からとびきりのご褒美を頂いた。


「君なら芹沢の所で働けたかもしれないね。」


二十三年間の先生の労の欠片を知っている。
先生のそれと自分とを少しでも重ねて下さった。


「いえ、とんでもないです。」
と返し、心で泣いたのを覚えています。


物を見る目、音を聞く力、匂いの質、
時に舌。


下平清人先生の魂はしっかり僕が受け継いでいる。
そう感じる旅になりました。



〜 fin 〜










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